篠田桃紅さん
昨日のニュースで3月1日に天に召されたことを知った。
107歳でいらしたと。
誰でも死を迎えるが他人ごとのようで実感がないため驚いた。
桃紅さんは書道から独自のart世界を開いた。
大正3年が生年なので、明治が明けたばかり。
現在ですら常識不安などから、内なる声は疲れていようとも
社会通念にまみれた生きる道を選択しがちである。
女性が一人で生きていくことすら全くあり得ない無謀な挑戦。
親の決めた相手に嫁ぎ夫と家にかしずき子を産み育てることこそが女の道
当時の当たり前である。
桃紅さんはかの時代の女性でありながら、自身の内なる声に忠実に生きた。
その生きざまが墨を通して表現され
体の奥深くが共振するような静寂の感動を呼び覚ます。
けれどもそれは非常に独自性があり
篠田桃紅が振り回されそうな筆の墨に乗って
和紙に墨跡となって駆けまわっている。
どこまでも続く砂漠ででも果てしなく墨の線を描きたいと語っておられた
旅立たれて夢を叶えておられるだろう。はてなき美へと。
絵はどこからくるのか?
絵を描くとき、例えば依頼されてポートレイトなどはっきりとしたテーマがある場合もあるが、絵描きはひらめきを描くことが多いのではないか。
ひらめきがどこかから来てそれが自分が描きたいものになるわけ。
前回青龍を載せたが、その工程は、
約10年前に「四神」とひらめきが降りて来て
(これがどこから来るのかは全く分からない)
描きたいものになり、
四神とは何かを知らべて
神社に正月に飾られていた四神旗の写真を撮り、
簡単に模写して、
私の場合は龍など興味もなくラー麺椀を思い浮かべる程度で描いたこともなったから、龍の絵を調べ、
一度キャンバスに油彩画で試しに描いてみて
その後再度描いて
upした作品となり完成。
どこから来るのか全く分からないところから
興味もなかったテーマが来るのに
なぜかそれにピン!とくる感じで描きたいものになる不思議?
描きたいとも全く思ったことが無いどころか、
興味すらなく、存在も知らなかったのに
本当に不思議だ。
もし我の自分と空の自分があるなら、空がそう仕向けているように思えてならない。
インスタから青龍の部分をupするね!
四神 青龍
インスタに投稿した記事を載せます。
四神は10年位以前に降りて来て2016年頃より描きだし2019年には四神4枚仕上がった作品。
東西南北の順に東の守り神青龍からご紹介。五行説によると水・青の意も。
細部はまたupするが、一目では分からない細かい部分を縦にしたり横にしたりして好きな人には見て欲しい。インスタではなぜだかヨーロッパ系の人からのいいねが多い作品。
なぜ10年程前に四神のインスピレーションが降りてきたのか?の「なぜ?」に答えは無い。直感としか言いようがない。
直感と感覚の得意な人が絵を描くのだろう。
インスタにも書いたが、自分でも分からないままに「何か」が表現したいものを絵という手段で私を使ってあらわすのであろう。
世の中の人みんな手段は違えど何かを表現している。
そこに自己愛と他社愛が共存していることが大切なのかもしれない。
よく言われる「好きなことや得意なことで他の人に喜んでもらえる幸せ」というやつか。
美しい泉
美しいと感じることは多々あるね。芸術自然音楽etc。
「美」は感じるもの,なのが面白い。
思考からは美を得られない。
美は感動と一対のことが多い。
思考から感動は得られない。
美も感動もどこかからフワ―っと湧き上がってくる。
私達の体内にそんな泉があるんだね。
美しい泉。
その泉をみんなとシェアしあえたら嬉しい。